さるまっくの独白

2006年07月31日 (月)

インターネット大学院

 私は2002年4月から信州大学がはじめた「インターネット大学院」の学生をしている。これは、私が20年以上前に「教育学部」に入学してしまった時からの、「本当はコンピュータの勉強をしたかったのに…」というコンプレックスからでもあるし、現実問題として「情報系の勉強をキチッと体系だててやっておきたい」、さらには修士ではなく博士の学位を取得しておく方が有利である、というようないろいろな理由からである。
 私は、中学時代から将来はコンピュータの勉強をしたいと思っていた。しかし父親が田舎の小学校教員であり、狭い教員の世界しか知らない両親であった。そのため無理やり教育学部に進学させられた。その時から、工学系の同級生に対してコンプレックスを持つようになった。教育学部に入ってしまった後で、自分なりに何とか方向転換を図るべく、コンピュータに近い「数学」を専攻し、大学院(教育学研究科数学教育専攻)に進んだが、ある理由で「ドラスティックな方向転換」はできなかった。そしてここで諦めてしまい、博士課程には進まずに修士を出て、親の猛反対を無視してコンピュータ業界に就職した。しかし就職先はコンピュータプログラムのいわゆる「工場」であり、大規模システムを製造する「歯車」として仕事をしながら、大学院時代の友人が大学教員として研究職に就くのを見て、またもコンプレックス(というよりいまの仕事の違和感)を感じ始めていた。そのため、単なるプログラマーのくせに「情報処理学会」に入り、その学会誌に偶然掲載された現在の職場(当時は短期大学)の公募に応募して、転職をした訳である。しかし、「大学・大学院で情報科学を系統的に学んでいない」というコンプレックスが疼きはじめた。それならば、研究を進めるなり、どこかの大学の研究室に顔を出すなりして情報系の勉強ですをすればよい。それなのに、つい楽な方をとってしまい、学生の教育だけにうつつをぬかしてしまった。そして30代の10年間を無駄に過ごしてしまった。(確かに途中で大学を辞めてもう一度大学院に入ろうとしたり、近くの大学の工学部の授業を聴講したりはしたが、思い切りがなかった。)
 前振りが長くなったが、そんな時、信州大学工学部情報工学科が「大学に通わなくてもインターネットだけで勉強して修士・博士の学位が取得できる大学院を開設する」という話を2001年に知った。それも「勤務先には内緒」で入学が出来るので、当時大学の上司から他大学で勉強することを禁止されていた私としては願ってもないチャンスであった。(現在は他大学での勉強も本務校の仕事に支障をきたさなければ許されている。)早速、受験をして、2002年4月より工学系研究科の学生として情報科学の勉強をすることとなった。このとき、インターネット大学院の開設を見つけてきた私の妻も一緒に入学することになった。
 いざ工学系大学院生としての勉強が始まってみると、立ち上がったばかりでシステムは不安定、予想していた「講義をVODで視聴して勉強する」のではなく「自分で調べて問題を解く」のが主流のシステムであり、配属された研究室の教員からはホッタラカシの状態、と当初想像した状況とは全く異なっていた。単位を取得するためにこなさなければいけない科目もまだ整備されていず、開講されていない科目もたくさんあった。また、科目の内容もe-learningに載りやすい科目を選んだ感がぬぐえず、そのため必ずしも系統だてたカリキュラムではないように思えた。もっと言ってしまえば、「コレが大学院の科目?」という内容のモノもいくつかあった。
 そのため、最初の1年半以上は殆ど手付かず状態。修士論文のための研究内容にしても、指導教官からは「LとRの音の聞き分けをe-learingにする」のはどう?などと言われて、かなりムッとした。幸い、妻は本来の仕事(薬剤師)があり、それを既に教材化したものを作っていて、これをe-learining化してめでたく修士を取得できた。私は妻の修論発表を聴きに行ったが、初代のインターネット大学院の修論発表ということもあってか、単に自分の思ったことをPPTにしただけのモノ、アイディアは自分でも作ったのは業者というモノなどなど、いわゆるドサクサに紛れて修了した人たちがかなりいたように思う。
 私は結局2年では修了できず、気分的に憂鬱になった。前期課程を修了したら続けて後期課程に行きたいため、いい加減な内容の修士論文にはしたくなく、そのためずるずる時間ばかりが経ってしまった。そして2005年10月、いきなり指導教官から電話がかかってきて「休学しなさい」と言い渡された。
 話は変わって、私が最近興味を持っている東大の山内祐平研究室のブログを見ていたら、きょう(7月31日)の記事で、
ディスカッションもよかったのですが、信州大学で行われているeラーニング離脱防止システムがおもしろかった。離脱気味の学生の状況に合わせて、メールや電話などで適切なアドバイスをするというものでした。時間がない場合は履修期間の延長、動機に問題がある場合は、相談と休学などが選択肢として提示されるそうです。
という話が書かれていた。まさに私の話じゃないか!信州大的には私は離脱組なのね!ショックを受けた。
 確かに、大学院にもなったら自分で研究の方向も決めて、自律的に進めていかなければならない。それができなかったのは私自身の責任である。しかし、少なくともできたばかりのインターネット大学院は私が期待していた体系的な学習を十分に与えてくれたとは到底言えない。さらに指導教官のあたり・はずれも大きい。妻の指導教官は精力的にネットの学生をサポートしてくれたが、私の指導教官はさっぱりである。
 まぁ~文句を言っていても仕方がないので、この夏休みにそれなりの研究をして作品を作り、来年の3月には意地でも修了すると心に決めた

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投稿者 sarumack : 23:30 | コメント (0) | トラックバック

2006年07月30日 (日)

ブログの1本化

 いままで私のブログ(SNSを含む)は、自宅のMT・アメーバ・mixiと3箇所に散らばっていて、どれも書き散らかしの状態だった。こうなってしまったのは、授業でブログを説明するために自分でも商用ブログを開かざるを得なかったためである。その結果、そんなに書くこともないのに、ブログばかり増えてしまって、どのブログも書き散らかしの状態になってしまった。
 それで、きのう自宅のブログシステムを最新の状態にしたので、自宅サーバのブログに1本化することにした。商用ブログは簡単にスキンを変えてカッコよい見た目に変更できるが、広告が入るのがどうも気に入らない。それより見た目は地味でも、自分で好きなように設定を変えられる自宅サーバのブログの方が扱いやすい。
 そういう訳で、今日はアメーバに昨年書き散らかしていたエントリーをこのブログにコピーした。面倒だったのは、画像の扱いとブログの文字色である。デジカメ画像はすべてファイルサーバに残してあるハズなのだが、整理の仕方が悪くて見つからなかったり、オリジナル画像を加工(トリミング)して載せていたりしている。そこで、オリジナルのアメーバブログの内容を尊重して、こちらの画像をそのままダウンロードして(サムネールも含めて)載せることにした。文字色の設定は、MTのエントリー投稿のフォームにはない。そこでアメーバのHTML表示から「span」タグをコピーして直接エントリーの内容に書き込まざるを得なかった。
 そんなこんなで、急に「2005年11月~12月」の記事がこのブログに出現することになった。

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投稿者 sarumack : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2006年07月29日 (土)

ゲド戦記

 きょうから公開の「ゲド戦記」をさっそく近くの東宝シネマズで見てきた。10時20分からの回だったが満席だった。
 この「ゲド戦記」は私が大学院生の頃(1984年頃)に、臨床心理学の先生から紹介されて、夢中になって読んだ本だ。その頃はまだ3部作の状態で、第1作の「影との戦い」はゲドの若い頃の話、第2作の「こわれた腕輪」はアルハを救出する話、第3作の「さいはての島へ」は王子レバンンネンと世界を旅する話で、これでearthseaの世界は完結していた。私はここまでの3部作は次のセリフが言えるくらいに何度も読んでは自分の心持ちとを比較していた。
 ちなみにテハヌはずっと後になって4作目として刊行された「帰還 -ゲド戦記最後の書-」に登場した少女だ。私は4作目は1度しか読んでいない。ちょっとしっくりこなかったためかもしれない。その後も、5作目の「アースシーの風」、6作目の「ゲド戦記外伝」と出版されているが、まだ読んでいない。
 いずれにしても「ゲド戦記」の3部作の部分には私としては強い思い入れがあり、その世界がどのように宮崎アニメとして繰り広げられるか、半分期待・半分心配で座席についた。映画が始まって、最初のうちはちょっとしっくりこなかった。2時間にまとめるために、あの壮大なearthseaの世界の一部分を切り取って、世界の設定・人物設定もはっきり説明されずに話が流れていくためだ。しかしアルハの家に寄せてもらうあたりから「オリジナルのゲド戦記」から「宮崎アニメとしてのゲド戦記」に慣れてきて、話に徐々に引き込まれた。世界がおかしくなっているのが「クモ」のせいだというのがややハッキリしなかったし、レバンネンが逃げていた自分の影がテハヌに協力してクモの虜になったレバンネンをこちらの世界に引き戻したのもあっさりしすぎていた感じだが、最終的にはレバンネンとテハヌ(と竜)の協力によってクモが死んだ。これで世界の均衡が戻るだろう…という予感をもう少し出して欲しかったが、2時間という枠の中では、可もなく不可もなくという映画だったというのが感想だ。
 いずれにしても、久しぶりにファンタジーの世界に浸れて楽しい2時間を過ごした。

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投稿者 sarumack : 20:18 | コメント (0) | トラックバック

サーバHDDの交換とMTのアップグレード

 7月に入った頃から、自宅サーバで動かしているMovable Typeにトラックバックspamが急に多くなった。いま使っているMTは、2005年4月2日にインストールしたVer.3.115-jaをそのまま使い続けていた。確か昨年の夏頃にVer.3.2-jaが出たが、特に問題なく動いていたし、アップグレードするのも面倒なので、古いバージョンを使い続けていた。最近、MT-3.3が出たのは知っていたが、まだいいかとたかをくくっていたが、ここにきてあまりのトラックバックspamに、新しいバージョンではそれなりに対処されているのでは?と思い、MT-3.115-ja⇒MT-3.31-jaのアップグレードを行うことにした。
 このブログには大切な記録が載せてあるので、失敗が許されず、まずはサーバのHDDのクローンを作ってからに・・・と思って、調べてみた。するといま使っているlinuxサーバは2003年3月から動いている20GBのMaxtor製のHDDだった。確か/homeのパーティションも既に80%使っている。
 そこで、いまのサーバのM/Bで使える最大のHDD、つまりビッグドライブではないモノ(Maxtor 120GB IDE)をおととい購入し、きのうのサーバを使った仕事が終わった後(15:00頃~16:00頃)、クローニングした。利用したツールはAcronisのTrue Image 9をCD-ROM起動版にしたモノである。本当はパーティションのサイズをいじりたかった(/homeを大きくとりたかった)が操作をよく知らないので、お任せモードでクローニングした。途中で「linuxの起動ドライブの場合はliloを入れなおせ」のようなメッセージが出たが、特に何もしなくても120GBの新しいHDDでlinuxが起動した。
 それからMTの現在のデータやら何やらをバックアップし、ついでにいままでの変則的なディレクトリ構成をやめて、普通のディレクトリ構成でMT-3.31jaを入れた。チェックで「HTML::Templateに問題がある」旨のメッセージが出てちょっと参ったが、Webの情報でcpanでモジュールをインストールして何とかチェックをパス。やっと起動したら、さっそく新しいバージョンへの更新が始まった。ウキウキしてまつこと数分、完了したのでいままでのブログを見てみたら何も見えない。「あれ?」
 結局、既存環境からのバックアップをよく読んでみると、ブログディレクトリはそのままに残しておくのね・・・ 急いでバックアップから「cp -ra 」で戻してやったら見えるようになった。エントリの追加と削除も問題ないようだ。ただ、トラックバックspamにチェックを入れて「迷惑トラックバック」ボタンを押すとエラーが出た。ここらはまだ問題かな?
 18:00頃~0:30頃まで、途中に「となりのトトロ」を挟んでの作業だった。
 そうそう、明日(正確には今日)の「ゲド戦記」が楽しみ・・・

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投稿者 sarumack : 01:15 | コメント (0) | トラックバック

2006年07月28日 (金)

Firefoxが自動アップグレード

 きょう、私が使っている2台のPCのFirefoxがアップグレードの準備ができたといわれて、「1.5.0.5」にあがった。どこがかわったんだろう?
 ちなみに我が家では、私だけがFirefoxをメインのブラウザとして使っている。

#投稿日時は7月28日ですが、新しいMTで書いています。

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投稿者 sarumack : 19:00 | コメント (0) | トラックバック

2006年07月25日 (火)

こわれたメガネ

 私は以前から近眼なのでメガネをかけている。現在使っているメガネは、結婚前の1998年に当時婚約していた妻が勤務する薬店の隣のテナントで購入したモノである。当時は近眼だけだったので、近眼用の見やすいレンズを入れてもらい、「つる」の部分にはバネの入ったフレームで、けっこう気に入っていた。
 ところが最近、このメガネをかけていると近くが見えない! 遠視(いわゆる老眼)が入ってきたようだ。それで、仕方なく遠近両用メガネを作ったのだが、どの位置でどの距離のピントが合うのかに慣れず、結局、前述の近眼メガネをかけていた。
 そして今日、私が不用意に床にメガネを置いてウトウトしていたとき、娘がそのメガネを踏んでしまった。幸い娘には怪我はなかったが、メガネはレンズが割れてしまった。私としてはかなりショックである。メガネがないと運転も仕事も出来ないので、遠近両用メガネを使用せざるを得なくなってしまった。早く慣れるといいのだが…。

FinePix F10で撮影

#ブログタイトル「こわれたメガネ」はゲド戦記第2作の「こわれた腕輪」にかけたつもり。。。

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投稿者 sarumack : 19:09 | コメント (0) | トラックバック

2006年07月24日 (月)

世界の小澤

 ついさっき小澤征爾の「復活」を聴いてきた。彼は体調を崩してウィーン国立歌劇場の音楽監督を休んでいたから、日本では今回の公演が将に彼にとっての復活である。そんな貴重な公演は日本では4箇所でしか行われない。そして、なぜかこんな地方都市がその公演地のひとつになっていたのにはビックリした。私にとっては「ラッキー!」である。それこそ世界の小澤の指揮を「生」で見られるなんて、これが最初で最後だろう。そう思ってワクワクして聴いた。
 マーラーの復活は、私が大学院生の頃にレコードで買った覚えがある。マーラーはどれも曲が長いので、短めの巨人と4番はよく聴くが復活は殆ど聴いていない。そういう意味でもとても新鮮に聞くことができた。
 ステージは楽団員(小澤征爾音楽塾オーケストラ)と合唱団でぎっしりであった。そして曲の途中でホルンやトランペットパートが出入りするので、どうしてかなぁ~と思っていたが、どうやらステージの裏で演奏するという部分があったらしい。(曲を知らない自分が恥ずかしい。)遠くでラッパの音がするような演奏の部分が時々あった。1時間半弱の演奏だったが、とてもダイナミックで素晴らしい演奏だった。
 ちなみに、ソリストたちと並んだ小澤はそんなに背丈が大きくない(どちらかと言えば小柄な)人だった。ビッグな人を連想していただけにチョット驚いた。
 実を言うと、小澤が来るというのを知ったのはほんの数日前で、普通ならチケットは完売だと諦めたが、まだ数席残っていたのもラッキーだった。ともかく幸せな1時間半をすごさせて貰った。

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投稿者 sarumack : 22:00 | コメント (0) | トラックバック
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